第6章 保須市襲撃事件
何かを考えているというより、何かを見据えているような目だった。
――何かあるわね。
彼女は、そう判断した。
しかし、問い詰めることはしなかった。
他人が話したくないことを、無理に聞き出す理由はない。
それに、彼女自身にも、誰にも話せないことがある。
「じゃあ、また学校で」
「うむ。一週間後に会おう!」
飯田は背筋を伸ばし、彼女に手を振った。
そして、保須市へ向かう電車に乗り込んだ。
彼の胸には、憧れた兄の背中と、消えない怒りがあった。
彼女は、その姿が見えなくなるまで見送った。
その後ろ姿を見つめながら、ふと思う。
――あなたは、まだ正義を信じているのね。
それは、羨ましさに近い感情だった。
飯田は、兄を傷つけたヴィランを憎んでいる。
けれど、彼が向かう先には、まだヒーローという肩書きがある。
正しいことを学び、正しいことを実行しようとする場所がある。
怒りに呑まれたとしても、彼には戻るべき場所がある。
雄英高校という場所が…
彼女は視線を落とした。
自分には、何があるのだろう。
公安から与えられた任務。
誰にも明かせない身分。
命令に従うために、必要な感情を切り捨ててきた時間。
彼女がこれから向かう先に、クラスメイトたちのような期待はなかった。
あるのは、対象の情報と、任務の期限。そして、失敗が許されないという現実だけだった。
「……行ったな」
背後から相澤の声がした。
彼女は振り返る。
「はい」
駅前に残っている生徒は、もうほとんどいなかった。
相澤は彼女の顔を見つめた。
「飯田の様子、気づいてたか」
「……何か抱えているようには見えました」
「そうか」
相澤は、それ以上追及しなかった。
彼もまた、飯田の様子に違和感を覚えていたのだろう。
けれど今は、彼を止める理由も、止めるための確かな根拠もない。