第6章 保須市襲撃事件
もちろん、すべてが自由にできるわけではない。
ヒーロー事務所としての記録も、職業体験の受け入れ手続きも存在する。
だからこそ、彼女が任務で不在になる場合には、事前に公安と事務所の間で説明が整えられる。
彼女が本来の任務に出ている時間も、職業体験の記録上は不自然にならないよう調整される手筈になっている。
彼女が選んだのは、最も華やかな事務所でも、最も人気のある事務所でもなかった。
自分が本来の仕事を続けるために、最も都合のいい場所。
「へえ、いいじゃん!」
葉隠が明るく声を上げた。
「おもちちゃんって、体育祭でも周りをよく見て動いてたし! 救助とか、現場の指揮とか、すごく向いてそう!」
「そうかな」
「そうだよ! だって、ただ強いだけじゃなくて、全体を見てる感じがしたもん!」
彼女は微笑んだ。
「……ありがとう」
その言葉は、嘘ではなかった。
白鷺で学べることは、確かに自分の個性にも通じるものがある。
現場の状況を読むこと。
複数の人間の動きを把握すること。
限られた時間の中で、最善の判断をすること。
そういう意味では、彼女が選んだ事務所は、表向きの彼女にもよく似合っていた。
だからこそ、誰も疑わない。
自分の選択が、別の理由によって決まっているなんて。
「みんなは、もう決まった?」
彼女は話題を変えるように、周囲を見渡した。
「まだまだ! 候補が多すぎるんだよ!」
葉隠も自分のリストを広げ、どこにするか考え始めた。
彼女はその様子を眺めながら、机の下でそっと手を握った。
みんなは一週間後、初めて訪れる事務所に胸を躍らせるのだろう。
けれど、今の自分が向かうのは、みんなが憧れるヒーローの世界ではない。
誰にも知られず、称賛もされず、記録にも残らない仕事。
「……おもちちゃん?」
「ん?」
葉隠の声に、彼女は顔を上げた。
「何か考えごと?」
一瞬だけ、答えに詰まった。
けれど、すぐにいつもの微笑みを浮かべる。
「ううん。みんな、楽しそうだなって思って」
「えへへ、楽しみだもん!」
葉隠が笑う。
その明るさに、彼女の胸がまた少し痛んだ。
――たとえ、その一週間さえ本当の学生生活にはならないとしても。
彼女はリストを丁寧に折りたたみ、鞄へしまった。