第5章 束の間の休息
「体育祭で見ていた人が、君の全部を評価したわけじゃないよ」
「……!」
「短い時間で目に映るものには限りがあるでしょう? そのときの結果だけで、人の可能性が決まるわけじゃない」
その人の一面だけを見て、すべてを理解したつもりになることの危うさを、彼女はよく知っていた。
公安で仕事をしていた頃も、目に見える情報だけで相手を判断することは許されなかった。
表に現れた結果と、その人が本来持っている力は、必ずしも一致しない。
「これからじゃない?」
おもちは、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。
緑谷は一瞬、目を見開いた。
彼女は自分を過剰に励まそうとしているわけではない。
ただ、本当にそう思っているのだ。
「……!」
緑谷の顔に、少しずつ明るさが戻っていく。
「ありがとうございます、さとうさん!」
彼女は小さく頷いた。
その様子を、少し離れた席から爆豪がちらりと見ていた。
緑谷に声をかける彼女の表情は、普段と変わらず穏やかだった。誰かを励ますときでさえ、相手の感情を無理に引っ張り上げようとはしない。ただ、相手が自分で前を向けるように、言葉を置いていく。
爆豪は何も言わず、視線を資料へと戻した。
一方、教室の空気は、いつの間にか別の話題へと移っていた。
「そういえば、そろそろヒーロー名も決めなきゃいけないんだよね!」
「ヒーロー名!」
生徒たちが再び騒ぎ始める。
「ヒーロー名は、ただのあだ名じゃないぞ」
相澤が釘を刺すように言った。
「世間に認知される名前だ。自分がどんなヒーローになりたいのかも考えて決めろ」
その言葉を合図に、教室のあちこちで相談が始まった。
「どんな名前がいいかなぁ……」
麗日がノートを開き、悩み始める。
「俺はもう決めてるぜ!」
切島が自信満々に胸を張る。
「えっ、もう!?」
「男らしい名前が一番だろ!」
笑い声が広がる。
おもちは、そんなクラスメイトたちを眺めながら、ふと窓の外へ目を向けた。
ヒーロー名。
人々に呼ばれ、覚えられ、その存在を示すための名前。
彼女には、すでに別の世界で与えられた役割がある。
表向きの自分と、誰にも明かしていない自分。
その二つを抱えたまま、雄英でどこまで歩いていけるのだろう。