第8章 谷雨
五条side
憂太の腕から、眠りこける雫を半ば強引に奪い取る。
いつも穏やかな憂太が、僕を睨んできたのには、心の中で少しだけ苦笑した。
だけど、譲る気なんてこれっぽっちもない。
車の外でポカンと呆気に取られている真希たちの視線を背中に浴びながら、僕は雫をしっかりと腕に抱き抱え、高専の寮の廊下へと足を進めた。
『ん……っ……』
腕の中で、雫が小さく身じろぎをして、僕の胸にコテンと額を預けてくる。
軽い。この国の梅雨を担うには、あまりにも小さくて、儚すぎる身体だ。
だけど、この小さな身体が、僕の乾いた心をこれ以上ないほど穏やかに潤してくれる。
本当に……僕の領域に、すんなり入り込んできちゃうんだから
今日一日、彼女の様子をずっと見ていた。
最初は怯えて、車から降りることすら躊躇っていたのに。
芝生に降り立って、パンダの不器用さに笑って、僕が作った花冠を頭にのせた彼女は、まるで世界中の光を集めたみたいにキラキラと輝いていた。
近くのお店でオムライスを美味しそうに食べて、幸せそうに笑っていた姿。
——そして、僕の目を盗んで、湖のほとりで憂太と頬を赤くしながら「名前」を呼び合っていた姿。
あれは、正直、面白くなかった。
僕が外の楽しい世界へ連れ出して、僕の手で愛してあげるって決めたのに。僕の知らないところで、生徒とはいえ他の男とそんな風に仲良くなっちゃうなんてね。
廊下を歩く僕の足に、自然と力がこもる。
彼女から漂う、あの優しくて温かい夜の雨の匂いが、僕の独占欲をどこまでも狂わせていくのが分かった。
梅雨の代行者だから、神様だから大切にしたいんじゃない。
ただ、僕の腕の中にいるこの女の子を、誰にも渡したくないだけだ。四季庁や、上層部の老いぼれたちにも、あの冷徹な護衛官にも。……配置換えを要求したって、憂太にだって絶対に渡さない。
「たくさん遊んだね……」
静まり返った廊下に、僕の低い呟きが小さく溶けていく。