第12章 『離隔る』
その日の夕方、
湯川は理工学部棟の廊下を歩いていた。
「…………」
向こうから、
聞き覚えのある声がした。
「だから、ここ違うって」
「えー」
「俺、昨日言ったじゃん」
「聞いてない」
「聞いてた!!」
「記憶にない」
「それ、聞いてないのと同じだから」
笑い声に、
湯川は顔を上げた。
星宮と、そして、世良。
「…………」
二人で一冊の資料を見ながら歩いている。
星宮が何かを言い、世良が返す。
また、二人で笑う。
「…………」
湯川の足が、
僅かに遅くなった。
その時、
星宮が顔を上げた。
「あ」
目が合った。
「先生!!」
星宮が手を振る。
「…………」
一瞬、
湯川はその手を見る。
それから、
小さく手を上げた。
「珍し」
世良が言う。
「何が?」
「あの先生、手振るんだ」
「……確かに」
星宮が笑った。
「…………」
湯川は、そのまま二人とすれ違った。
背後からまた会話が聞こえる。
「で、ここ」
「だから分かんないって」
「さっき説明しただろ」
「もう一回」
「はいはい」
声が遠ざかる。
「…………」
以前ならこの感覚にも、
理由を探していただろう。
何故気になるのか、
何故目に残るのか。
「…………」
今は、探す必要がない。
湯川は歩き続ける。
距離を置けば、
気にならなくなる。
そう考えていた。
けれど、
実際は会わなかった時間に、
彼女が何をしていたのか、
誰と話していたのか。
何も知らないそのことの方が、
以前より気になっていた。
「…………」
湯川は一度だけ足を止めた。
後ろへは振り返らない。
そのまま再び歩き出した。