第1章 『ひとりぼっちの人魚姫』 プロローグ
「起きて……お願いだから目を開けて……っ!」
砂浜に横たえた彼の身体はぴくりとも動かなかった。
必死に肩を揺さぶり何度もその名を呼ぶけれど、返事はない。
打ち寄せる波が洗う彼の肌は、刻一刻と冷たくなっていく。
少女の胸を、言いようのない絶望と恐怖が押し潰そうとしていた、その時だった——。
「——おい! どこに行ったんだー!」
遠くから響く差し迫った声。
彼を探しにきた家族が、荒い息を吐きながら砂浜へと駆けつけてきたのだ。
しかし、彼らが目にしたのは——砂浜で動かなくなった最愛の息子の姿と、その傍らに座り込む美しい尾鰭を持った『人魚』だった。
「ひっ……! に、人魚……!?」
「そんな……なんで、うちの子が……っ!」
家族の顔が恐れと戦慄で歪む。
彼らにとって人魚とは古くから伝わる恐ろしい存在そのもの。
愛する息子を取り戻そうと、彼らは拾い上げた流木や石を構え彼女を威嚇した。
「失せろ! 恐ろしいバケモノめ!!」
「息子から離れろ! 近寄るな!!」
向けられたことのない凄惨な敵意に、少女はすっかり怯えきってしまった。
必死に「助けようとしただけ」だと叫ぼうにも、声は恐怖で音にならなかった。
あまりにもの恐怖に彼女はたまらず海へと飛び込み、深い水底へと逃げ延びるしかなかった。
海の中から渚を見つめる。
冷たくなった彼を抱きかかえた家族は、その死を悟り、天を仰いで深く深く嘆き悲しんでいた。
(ちがう……わたしじゃない……わたしはただ、助けたかっただけなのに……)
彼らは「人魚に殺されたのだ」と疑わなかった。
溢れる涙とともに人魚への深い恨みを言葉に吐き捨てながら、悲痛な面持ちで息絶えた彼を抱きしめ、集落の方へと去っていく。
残されたのは波の音と、あまりにも残酷な誤解だけ。
海に浮かぶ少女は自分の尾鰭を抱え込み、冷たい海の中でただひとり声を殺して泣き続けた——。