第1章 『ひとりぼっちの人魚姫』 プロローグ
足首に巻いた包帯の下で鱗が疼いた気がした。
けれど、初めて肌で触れる海の冷たさと心地よさは、母の言いつけに対する罪悪感を一瞬で吹き飛ばしてしまうほど魅惑的だった。
「すごい……本当に冷たくて、気持ちいい……!」
打ち寄せる波に脚を洗われながら、少女は瞳を輝かせた。
いつしかふたりは腰まで海に浸かり、声を上げて笑い合いながら互いに水をかけ合って遊んだ。
太陽の光を浴びてキラキラと弾ける水飛沫は、彼女にとって生まれて初めて知る、世界の眩しさだった。
——しかし、海は突如としてその牙をむく。
「うわっ……! 波が——」
沖から押し寄せた予想外の大波が、唐突に少年の身体を呑み込んだ。
「ごほっ……! 助け……っ!」
激しい潮流に足を取られてあっという間に深い場所へと引きずり込まれていく彼に、「海は危険だ」という母の言葉が頭をよぎったが躊躇う暇などなかった。
少女は夢中で海の中へと潜り込んだ。
だが、海に入ったことすら初めての彼女に泳ぎ方など分かるはずもない。
水中で手足をいくらバタつかせても前に進まず、ただ無力に水泡を吐き出すことしかできない。
視線の先では苦しそうに顔を歪めた彼が、ゆらゆらと海の底へ沈んでいく。
(嫌……! 死なないで……! お願い、助かって……っ!!)
彼の命を救いたいという、胸を締め付ける程の強い願い。
その瞬間、彼女の身体に強烈な衝撃が走った。
足元から溢れ出したのは、息をのむほど眩い光。
光が波間を黄金色に染め上げたあと——そこにあったのは人間の脚ではなかった。
陽光を反射して虹色に輝く美しい鱗と、しなやかに揺れる透明な魚の尾鰭。
(これが……わたしの、脚……?)
一瞬の驚きに目を見張ったものの、尾鰭を得た身体はまるで最初からそうであったかのように自然と水を捉えた。
一度尾鰭をしならせるだけで、彼女は魚よりも早く滑らかに水中を破って進む。
沈んでいく彼の体をしっかりと抱きかかえると、彼女は一直線に水面を目指して力強く波を掻き分けた。
ザバァッと音を立てて水面へ躍り出ると、彼女は無我夢中で彼を抱え静かな砂浜へと這い上がったのだった。