【H×H 短編集 ✴︎ R18】狂気の先にある日常
第1章 赤いシャツ ※裏 イルミ×使用人
ナレッタは演技をしていた。
限界に見せかけて残した余力はすべてイルミを刺す右手へ流し込んでいた。
イルミのオーラの微弱な変化に細心の注意を払い、悟られないように少しずつ。
ただこの匂いを胸に吸い込むためだけに。
ナレッタとて年頃の女だ。
物理的な刺激なら、その気になればいつでも手に入る。こんなリスクを負う必要などない。
目の前の暗殺者よりまともな、飢えた男などいくらでもいる。
けれど、違う。
イルミの血は今ここでしか手に入らない。それが目の前に鮮明に滴っている。
ナレッタはナイフを握ったまま、イルミの首に腕を回し首筋に顔を寄せた。胸まで深く息を吸い込めば、じんわりと腹の底まで満たされて、挿入されたままのイルミをきつく締め付ける。
(あぁ……――)
匂いに呼び覚まされたのは、泣いていた記憶。
昔、ナレッタは屋敷でいつも泣いていた。泣きながら赤く染まったシャツを洗って、洗いながらシャツを染めた血は誰のものか想像し、やがて地獄を見ているのは自分だけではない事実に行きついた。
それは使用人として生きるナレッタにとって、何よりも嘘のない慰めだった。
(……そうだったんだ)
イルミは知らないまま、ずっと、ずっとナレッタを慰めていた。
「なんで?」
首から一筋垂れる血には構わないまま、イルミは不思議そうに目を見開く。
「俺のこと、嫌いなんじゃないの」
「私はイルミ様に特別な感情など持ち合わせておりません」
抑えた声とは裏腹に、結合部からは蜜がぐずぐずと溢れていた。
「こんなになってて、そう言われても」
幸福が溶け出したような視線が、伏せられた睫毛の隙間からイルミへ向けられる。
「……、イルミ様……」
とろけた視線と小さな声が胸にわずかに引っかかり、イルミは一瞬だけ呼吸を止めた。
殺そうとしておきながら、自分の名前をここまで切なく呼ぶ。
殺意の奥に執着が滲んだその目は、どこか自分を必要としているように見えた。