第2章 始まりの合図
廊下で足を止めて、三人を見る。
「アンタたち運が良かったねぇ」
役人に渡す算段を頭の中で組みながら、階段を下りていく。
味噌汁を飲み干す。
「うまい…」
外では町の朝が動き出していた。
飯を食べ終え、箸を置き静かに立ち上がった。
刀を差し、下げ緒を腰に結い草鞋を締める。
それだけで動作が、もう旅の準備になっている。
襖を開けると、廊下は片付いていた。
三人の姿はない。
縄だけが端にまとめて置かれている。
役人が来たことが分かる。
階段を下りる。
暖簾の向こうから朝の光が差し込んでいた。
女将は帳場に居た。
「行くのかい?」
「あぁ」
短い返事を返した。
「ちょっと待ってな」
「ん?」
斗亜は首をかしげる。
女将はすぐに戻ってきて、布包みを持ってくる。
「これ持っていきな」
差し出されて、斗亜は困りつつ受け取る。
「ありがとな…」
一拍置いて。
「馳走になった」
女将は鼻で笑う。
「こっちは助かったよ。道中で食いな」
斗亜は頷いて、表へ出る。
朝の空気が澄んでいる。
数歩進み、足が止まり振り返る。
女将が暖簾の横に立っていた。
腕を組んで、こちらを見ている。
「また来な」
その一言が少し重い。
斗亜は、ほんのわずかに笑う。
「また来るよ」
迷いなく言えた。
それで十分だった。
斗亜は、ゆっくりと歩き出した。
通りを抜け、町を出て街道へ向かう。
斗亜の背中が小さくなっていく。
やがて見えなくなる。
暖簾が揺れる。
朝の風が通り抜ける。
女将はその場に立ったまま、しばらく動かなかった。
人斬り。
最初にそう思ったとき、恐れはなかった。
昔、似た目を見たことがある。
戦から戻った男たちの眼だ。
何も持たず、何も残さず、ただ生き延びた者の眼だ。
だが、あの男は違った。
刀を持ってるのに斬らない、血を流さないやり方だ。
三人を生かして縛った。
もう人を殺さないと決めた者の動きだった。
「馬鹿だねぇ…」
小さく呟く。
誰に向けた言葉でもない。
あんな目をしておいて、あんな刀を持って、あんな静かな飯の食い方をして。
「生きるために必死だったんだろうねぇ…」
表を掃くために箒を持つ。