第45章 【第四十話】この世界に縫い止めるもの
「かつての教団は、その状態を――“聖女”と呼んだ」
静寂が落ちた。
ティファは、自分の指先を見つめた。
怒れなくなり。
怖がれなくなり。
誰かを愛しいと思う痛みすら失い。
誰に対しても、同じように穏やかに微笑み続ける。
それが、聖女。
それが、救いの完成。
「……それの、どこが……」
ティファより先に、神田の低い声が落ちた。
「救いだ」
鋭い一言だった。
けれど、コムイは何も返さなかった。
返せる言葉などないようだった。
ティファは、震える手で喉元へ触れた。
「……知って、いたの……?」
声が痛みで掠れる。
「コムイさんは……私が、こうなる可能性を……」
コムイの肩が、僅かに落ちた。
「……知っていた」
静かな答えだった。
リナリーが息を呑む。
ラビの視線も、ゆっくりとコムイへ向いた。
「君がセトラの血を継いでいる以上、可能性があることは知っていた。教団が過去に、セトラの力をどう扱っていたのかも」
胸の底が、すっと冷えた。
「どうして……教えて、くれなかったの……?」
「……兆候が現れない限り、君に背負わせるべき過去ではないと思っていた」
コムイは、ティファから目を逸らさなかった。
「君は、教団の過去のために生きる人間じゃない。セトラだからという理由で、初めからその役目へ縛られるべきではない。そう思っていた」
「でも……」
ティファの声が震える。
「今、私は……」
続きが言えなかった。
自分の内側で、何かが自分を消そうとしている。
そのことを、周囲は知っていた。
自分だけが、何も知らなかった。
そして今。
今まで自分が信じていた自分自身まで、信じられなくなっている。
胸の奥が、引き裂かれるように痛む。
その時。
処置室の外から、硬い靴音が響いた。
コツ。
コツ。
ゆっくりと、迷いなく近づいてくる。
神田が、露骨に眉を寄せた。
「……胸糞悪ぃのが来やがった」
扉が開く。
そこに立っていたのは、中央庁長官・ルベリエだった。