第44章 【第三十九話】優しい歌の檻
それ以上、神田は何も言わなかった。
静かな沈黙が、部屋へ落ちる。
窓の外で、風が遠くの木々を揺らしている。
神田はしばらく立ったまま、視線を窓の方へ逸らしていた。
やがて、低く口を開く。
「……方舟で」
ティファの瞳が揺れる。
「お前が倒れてんのを見た時……」
一度、言葉が途切れた。
神田の視線が、サイドテーブルの髪紐へ落ちる。
「……返す相手が、いなくなるかと思った」
ティファの胸が、強く締めつけられた。
神田は、こちらを見ない。
ただ、押し殺すように息を吐いた。
ティファは謝るように目を伏せる。
その仕草に気づいた神田の眉が、僅かに寄った。
「……勘違いすんな」
低い声だった。
「馬鹿ウサギから、話は聞いた」
ティファが顔を上げる。
「あの場じゃ、お前が残るしかなかったんだろ。それくらい分かってる」
神田はようやく、まっすぐティファを見た。
その眼差しには、責める色はなかった。
「ただ――」
短い沈黙。
「死ぬな」
たった一言だった。
けれど、その奥へ押し込められたものが、痛いほど伝わってくる。
ティファの目の奥が、じわりと熱くなった。
神田は居心地が悪そうに視線を逸らす。
「……そんな顔すんな」
ぶっきらぼうに吐き捨てる。
「別に、泣かせに来たんじゃねぇ」
ティファは僅かに目を細めた。
笑う代わりに、小さく頷く。
神田はその仕草を見て、ほんの一瞬だけ表情を和らげた。
それも、すぐに消える。
「ちゃんと休め」
踵を返し、扉へ向かう。
今度は足を止めなかった。
扉が静かに閉まる。
再び、静養室へ静けさが戻った。
ティファはしばらく、閉じられた扉を見つめたまま動けなかった。
やがて、ゆっくりとサイドテーブルへ手を伸ばす。
戻ってきた髪紐を取り、掌の中へそっと包み込んだ。
少し擦れてはいたけれど、失われず、ここへ戻ってきた。
神田も。
自分も。
ティファは髪紐を指先で静かに撫でると、大切に枕元へ置いた。
――返す相手が、いなくなるかと思った。
不器用な言葉だけが、いつまでも胸の奥へ残っていた。