第43章 【第三十八話】呼べなかった名前
Side:ティファ
医務室は、すでに満床に近かった。
廊下には担架が行き交い、負傷者を呼ぶ声と、医療班の切迫した指示が絶え間なく響いている。
その喧騒の中、ティファの担架は重症者用の個室へと運び込まれた。
白いベッドへ身体が移される。
その瞬間、喉の奥へ焼けるような痛みが走った。
「……っ」
声にならない息だけが、唇から漏れる。
沈んでいた意識が、痛みに引き上げられるようにゆっくりと浮かび上がってきた。
白い天井。
鼻を刺す消毒液の匂い。
遠くで響く足音と、慌ただしく交わされる声。
身体は鉛のように重く、指先すらまともに動かせない。
それでも。
ぼやけた意識の奥で、ひとつだけ理解した。
――帰ってきた。
方舟ではない。
崩れゆく空間でもない。
ここは、教団本部だ。
「重度の損傷です。特に喉の内部が酷い」
ベッドの横で、医療班員が低い声で告げる。
「イノセンスの最大解放による反動か……。出血は止まっていますが、この状態で発声させるのは危険です」
「経過次第では、しばらく歌えない可能性もあります」
歌えない。
その言葉が、意識の底へ鈍く落ちた。
けれど、驚くほど感情が追いつかない。
怖いはずなのに。
その怖さだけが、麻痺したみたいに遠かった。
その時。
ガチャリ、と扉が開いた。
「失礼します」
低く張った声。
入ってきたのは、教団の婦長だった。
きっちりと結い上げられた髪。
一切の甘えを許さないような鋭い眼差し。
その姿が現れた途端、室内の空気がぴんと引き締まる。
婦長はカルテへ素早く目を通しながら、淡々と指示を飛ばした。
「最大解放後の経過観察を最優先。発声は禁止です」
「水分はどうしますか?」
「今は駄目。喉の損傷が酷いわ。数日は絶対安静。本人が何を言おうとしても、喋らせないで」
有無を言わせない声音だった。