第5章 旨いバランス
「…知らねーな」
それでも日下部さんは笑って見せてる。
そんな場合じゃないんだけど、強がりだとしても今の状況で笑ってんのスゲーなって感心した。
「わかんないくらい呼んでた?うれしいなぁ。じゃあ、口に出して呼んでみよっかー?」
「呼ぶわけねーだろ」
そりゃそうだ。
でも、は不敵に笑う。
「いや、呼ぶんだよ――“日下部”先生、アタシの名前、“呼んで”よ」
その一言で日下部さんはどんなに歯を食いしばっても、その隙間からの名前を押し出すしかない。
「…くっ!そっ……狐塚……」
「はーい♡」
は可愛いらしく返事して、馬鹿にするように舌を出した。
そして、出した舌で唇をなぞる。
次の言葉を出す準備。
「んじゃ、次はー」
ここまで来たら次に何するかはもう決まってる。
「“日下部”先生、下の名前、“教えて”」
ほら、やっぱり…
「……篤也」
「へぇ、篤也かー。カッコイイ名前じゃん」
日下部さんの抵抗虚しくはファーストネームを手に入れた。
これで術式効果を最大にするピースは揃った。
が更に日下部さんに近づいた。
「ねぇ、“篤也”先生…」
甘えるような声を出して、日下部さんの胸元にすり寄る。
日下部さんの胸板を妖しい手つきで撫で上げてる。
俺、何見せられてんだろ…
「邪魔だからさぁ」
あ、マズい。
特大の術式が来る予感。
やめろ、。
傷つけるような攻撃だけは…
が日下部さんのネクタイを掴んで耳を自分の口元まで寄せた。
そして、さっきまでの甘えた声が嘘みたいな冷たい声で日下部さんを刺す。
「“あっちに行って”」
え?
それだけ?
日下部さんの足はクルリと方向転換するとスタスタと歩き始めた。
ただ、悔しそうな顔はこちらに向けて、
「っこんの、女狐ー!」
と中指を立てた。
普段大人な日下部さんだけに子供っぽさが際立つのはたぶんに引っ張られてるんだろうな。
って、ちょっと不憫に思った。
もで手でキツネを作ると
「コン♡」
って可愛らしく鳴かせてみせるもんだから、日下部さんは
「くっそー、覚えてろよ!狐塚ぁ!」
って三下の遠吠えみたいなセリフを残して見えなくなった。