第20章 王女のアリア
迷いはそれきり消えた。
さらさらと羽ペンが紙を走り、音符が次々と並んでいく。
バラバラになっていた旋律が、紙の上へと一度に帰ってくる。
止めようとしても止まらない。
旋律が、終わることを許さなかった。
止める理由がなかった。
この音を、二度と失わせるわけにはいかない。
紙が一枚、また一枚と埋まっていく。
最後の小節を書き終えたところで、イルミは静かにペンを置いた。
譜面を見つめて、長い沈黙の後。
小さく息をついた。
「……これなら」
イルミは、書き上げた譜面をじっと見つめる。
この曲なら、オペラを支えられる。
王女は恋を歌える。
誰にも届かなかった想いを。
誰にも聞かれなかった歌を。
ようやく、この舞台の上で生き返らせることができる。
イルミは譜面を揃えると、確信するように小さく微笑んだ。
だが、まだ一つだけ欠けているものがあった。
――言葉だ。
この王女のアリアだけは、台本をもとに宮廷作詞家が歌詞をつける、いつものやり方では弱い。
物語の核心となるこの一曲には、旋律と同じだけの力を持つ言葉が必要だった。
幕が下りたあとも、観客の胸に残り続ける言葉が。
イルミは、再び筆を取った。
『クロロ=ルシルフル殿
初めて筆を執るにもかかわらず、お願い事から始まりますことご容赦ください。
このたび、第三幕の王女のアリアがようやく形となりました。
この一曲に限りましては、宮廷作詞家ではなく、ぜひ貴殿ご自身のお言葉を賜りたく存じます。王女の胸中を最も深くご存じなのは、物語を書かれた貴殿にほかなりません。
舞台の日も迫っておりますゆえ、悠長にお待ちすることは叶いませんが、急かすあまり貴殿の言葉を損なうことも望みません。
この旋律に貴殿がどのような言葉を与えてくださるのか、心待ちにしております。
イルミ=ゾルディック』
最後まで書き終えると、イルミは手紙を折り封を閉じた。