第1章 月夜のアンコール
シャレムのいる距離からははっきりとは聞こえなかったが、恐らくインディゴがそう言っているような呟きが見て取れた。
けれども黒猫……ミス・クリスティーンは明確な言葉を発さず「ニャ」と答えただけだろう。インディゴが何気なく差し出した手にその毛並みをすり寄せ、それからすっと歩き出した。普段のミス・クリスティーンなら、そのまま闇夜に溶け込んで姿を消すことは容易かっただろう。だがなぜかその時だけは猫の姿のままミス・クリスティーンは歩き出し、なんと自分の方に向かっていてシャレムはたじろいだ。
「あら? あなたは……」
間もなく、インディゴの明かりはシャレムを照らし出し、甲板の出入口前で立ち尽くしていた自分と目が合った。インディゴは二度瞬きをし、シャレムを真っ直ぐと見つめた。灰色の瞳と長いまつ毛に、シャレムはますます口をつぐんでしまった。
「先程、こちらに黒い猫がいらっしゃって……」
インディゴは困惑の表情を浮かべながら足元へ視線を落としたが、もうすでにミス・クリスティーンはどこかへと姿を消してしまい(あるいはそばの闇夜の中にいるかもしれないが)物理的に、シャレムは彼女と二人きりになってしまっていた。他に甲板の見張りがいないのが、仕組まれた舞台かのようだ。