第1章 月夜のアンコール
「こっちはミス・クリスティーンにあげてね。お砂糖を使ってないから食べやすいんだってママが言ってた」
と私がここまで言い終えてだんだん不安になってきた。ファントムさんは私が差し出したクッキーを受け取ろうとしない。それはつまり、クッキーが割れてしまったからだろうかと考えたからだ。
「あのね、今度は割らないように持ってくるから、ミス・クリスティーンだけでも渡して置いてくれると……」
「いらないとは言っていないだろう」ファントムさんはぶっきらぼうに、私からクッキーを受け取ってくれた。「今度は一人で森に入らないようにすることだ」
そう言い終えたあとに周りが明るくなって、振り向くとそこにはお母さんがいた。後ろでお父さんがすごく心配していたのに悟られないように眉間にシワを寄せているのが、私には少し怒っているように見えて少し反省した。だけども最終的には怒られることはなく、お母さんはただ一言、
「無事で何よりです」
と言うだけだった。
私はお父さんとお母さんの手を引かれながら森を出たけど、そこにはファントムさんどころか、ミス・クリスティーンもいなかった。だけど私にとっては楽しいプチ冒険だったので、お父さんとお母さんに影の先生がいたことを話した。するとお父さんはやっぱり複雑そうな顔をするかと思いきや、優しい口調で小さく呟いたのを、私は今でも覚えている。
「彼はあなたに危害を加えませんよ」
私がお父さんから、ファントムさんの人柄について聞けたのは、後にも先にもこれだけだった。お父さんが昔、ファントムさんと何があったのかは知らない。けれど、それは親友というには易し過ぎる、強い絆で結ばれた何かがあるんだと、今の私ならそう思うことが出来る。
そのピクニックのあとに帰って描いたのが、ドクターの執務室にある真っ黒な絵である。私が思い出せる限りだと、そのピクニックで赤いリボンを身につけたミス・クリスティーンはいなかったはずなんだけど、紙いっぱいにファントムさんを描いたつもりなんだと思う。ほら、この紙の隅にドーナツみたいな形をしているのがその時渡したクッキー。私にとっては、とても大事な思い出の一つなの。