第1章 嘘
洗濯物を干し終え、私は籠を抱えて縁側に腰を下ろした。さっきの風が嘘みたいに、庭は静かだ。
白い布が、ゆっくり揺れている。ふと、手を見た。
この手には確かに時透様の手の感触が残っている。ひどく冷たかった指先。熱に浮かされ、命の境をさまよっていた少年の手。
何度もその手を握った。落ち着くように、安心するように。
それだけのことだったはずなのに。
「……おかしいな」
小さく呟く。
胸の奥が、わずかにざわついていた。
看病や手当てなんて、ここにいれば珍しいことではないのに。あの感触だけが妙に残っている。
私は首を振った。きっと、ただ懐かしいだけだ。あの夜のことを知っているから。
それだけのはず。そう思ったのに……遠くの廊下で、誰かの声がした。
「時透様!」
その名前を聞いた瞬間、胸が小さく揺れる。自分でも驚くくらい、自然に顔を上げていた。
視線の先には、翡翠色の長い髪。彼は少し立ち止まり、どこかぼんやりした顔で空を見ている。
気づけば私は、彼の姿を探している。私はそっと視線を落とした。
これ以上、意識してはいけない。
彼をあの記憶の中に引き摺り入れてはいけない。
その夜、私はなかなか眠れなかった。
理由は分かっている。昼間のことを思い出してしまうからだ。
霞のような瞳。私の腰を支えたあの指先。柱の方に触れられたから緊張しているだけ。きっとそれだけだ。
そう言い聞かせても、胸の奥はなかなか静かにならない。私は小さく息を吐き、布団の中で目を閉じた。
けれど瞼に昼間の光景がよみがえる。あの瞳が、目の前でほんのわずかに揺れたこと。
でもそれは思い出してはいけない気がして、私は寝返りを打った。