第2章 声
部屋の入り口に立ったままの君は、動こうとしなかった。
「ねぇ、そんなところにいないでこっちに来てよ」
遠い。まだ距離を取っている君は少し迷ったあと、ゆっくり近づいてきて僕の横に立つ。
薬と消毒の匂いがする中で、違う匂いがした。
たぶん、この人の匂いだ。
「痛みますよね」
小さな声だった。
「こんな怪我はどうでもいい。すぐ治るから」
本当にそう思っている。それより気になっていることがある。
「それより……」
僕は見上げた。
「君、僕のこと避けてるでしょ」
「えっ……?」
目が大きく開く。やっぱり。
「その反応は図星だね」
「えっと……」
言葉を探しているみたいだった。でも、逃げようとしているのは分かる。
だから、布団の上から手を伸ばした。
袖を掴んだ。強くはない。逃げようと思えば逃げられるくらいの力。
それでも、掴んでいたかった。
「まぁいいや、それより」
僕は彼女を見上げる。
近い。さっきまで遠かったのに、今はすぐそこにいる。
でも——
まだ知らないことがある。
「君の名前、知らない」
庭で会ったとき、訊けなかった。
「名前くらい教えてよ」
その言葉のあと、部屋は静かになった。
君はすぐには答えなかった。袖を掴んでいる僕の手を振り払おうともしなかった。
しばらくして、小さく息を吸う音がした。
「……カヲルです」
かすかな声だった。でも、ちゃんと聞こえた。
僕は一度だけ瞬きをする。
「カヲル」
確かめるみたいに、その名前を口にする。
不思議だった。たったそれだけなのに。
胸の奥にかかっていた霞が、ほんの少しだけ動いた気がした。