第2章 声
任務は、すぐに終わるはずだった。相手は下弦。そんな手こずる相手じゃない。
夜の林の中で、僕は静かに呼吸を整えた。木々から差し込む月の光は心許ない。けれど気配でわかる。鬼はすぐそこにいる。
なのに……なぜか、集中できなかった。
頭の片隅に、別のことが浮かんでくる。
白い洗濯物。風に揺れる布。その向こうに立っていた人。
……あの人。
結局、名前は訊けなかった。
胡蝶さんは「本人に訊け」と言ったけど、あれから蝶屋敷へ行っても姿が見えない。
たまたま会わないだけなのか。それとも……やっぱり避けられているのか。
どうしてだろう。ほんの少ししか話していないのに。それでも、時々思い出してしまう。
困ったように笑う横顔。
触れた腰の細さ。
そして、指先に伝わった鼓動。
そのときだった。鬼の気配が、一気に近づいた。
「……っ」
気づくのが、一瞬遅れた。
鋭い爪が振り下ろされる。反射的に体を引いたが、完全には避けきれない。
肩口に衝撃が走る。
温かいものが、服の中を流れた。
……血だ。
僕はそれを見下ろして、少しだけ首を傾げた。
あぁ。そうか。
今、考え事してたんだ。でも、体はすぐに動いた。
日輪刀を抜き、呼吸を整える。視界の端に、鬼の歪んだ顔が映る。
「ちっ! 柱か」
「相手が悪かったね」
「鈍臭い奴だと思ったのによ!」
「ちょっと考え事してただけ」
僕は刀を構えた。そして一瞬で間合いを詰める。
「君、弱いね。霞の呼吸 陸ノ型 月の霞消」
頸は呆気なく落ちた。ちりちりと燃え尽きる体を確認し、刀を鞘に収める。
あの人は仲間を斬ったと言っていた。もし僕だったら。どんな感情を抱いていただろう。剣を握れなくなっただろうか。
柄を握ったまま、ふと考える。
手首まで血が流れて、地面に音を立てて落ちていった。
「時透様! お怪我しているではありませんか! すぐに蝶屋敷へ!」
事後処理に来た隠が、流れる血を見て慌てた声を上げた。こんな傷、なんてことないのに。
でも……今なら会える気がした。
あの人に。
「そうだね。僕は蝶屋敷へ行くから、あとは頼んだよ」