第8章 孤高の剣士
心臓が、ドクンと跳ねました。
蝉の声が急に遠のき、世界には私たち二人しかいないような錯覚に陥ります。
「……新選組の沖田総司じゃなくて。ただの沖田総司として、あなたを連れて、江戸の町を一日中歩きたかった。…… 桜子さんの隣で、ただ笑っていたかった」
彼は、握っていた私の手を少しだけ強く握りしめました。
その手は以前のような熱はなく、穏やかな温かさに満ちていました。
「……沖田、さん……」
「あはは、驚かせちゃいましたね。すみません、今の言葉は忘れてください。病人の戯言ですよ」
沖田さんはいつものように照れくさそうに笑いましたが、その瞳は笑っていませんでした。
そこには、自分には決して届かない「未来」と、自分を救ってくれた「よく笑う少女」への、純粋で残酷なまでの恋心が宿ってた。
桜子は何も言えずに、ただ彼の手を握り返すことしかできなかった。
未来から来た桜子と、幕末に消えゆく沖田。
交わるはずのなかった二人の線が、仁先生の手によって一瞬だけ重なった。
けれど、重なったからこそ、その先の「別れ」という運命が、鋭い刃となって桜子の胸を締め付けた。
「……私も、もっと早く出会いたかったです。……沖田さんと」
私の言葉に、沖田さんは嬉しそうに目を細めました。
「……ありがとうございます。それだけで、僕はあと百年くらい長生きできそうな気がしますよ」
二人の影が、夏の終わりの庭に静かに伸びた。
奇跡のような回復の裏で、歴史という名の無慈悲な死神が、すぐ背後まで迫っていることを、まだ私たちは知らなかった。