第7章 江戸の日常
「お邪魔いたす! 南方先生、桜子殿、お加減は……」
運悪く(あるいは彼にとって最悪なことに)、恭太郎さんがひょいと居間に顔を出しました。
そして、その場に固まりました。
「………………」
「あ、恭太郎さん。こんにちはー」
桜子は寝転んだまま手を挨拶をすると、恭太郎さんの顔が、一瞬で茹で上がったタコのように真っ赤になりました。
タンクトップから伸びた白い腕、そして捲り上がった袴から覗く生脚。江戸の武士にとっては、それはもはや「目のやり場に困る」どころか、脳内爆発を起こすレベルの露出度です。
「……あ、あ、いや…なんという…っ!」
「恭太郎殿、落ち着いてください。これには深い……いえ、あまり深くもない事情が」
「な、なな、南方先生! 桜子殿になんという格好を! こ、これはいわゆる、あの……『西洋の寝間着』か何かでござるか!? いや、しかし、これでは目の毒……いや、毒というよりは、もはや……!」
恭太郎さんは、目を覆いながらパニックに陥っています。
「恭太郎さん、これタンクトップと言って涼しいですよ。」
「……そんな、肌に張り付くような……あああ! 咲! 咲はおらぬか! 桜子殿が、桜子殿が異国の妖術にかけられたような姿に……!!」
恭太郎さんが転びそうになりながら廊下へ逃げ出していくのを見て、私は「そんなに慌てなくても」と笑い転げました。
「…… 桜子さん。恭太郎さんをからかうのは、ほどほどにしてください。彼は真面目なんですから」
「知ってますよ。でも、先生。こうして笑ってられるのって、幸せなことですよね」
私の言葉に、仁先生はふと表情を和らげました。
京で見た、死を覚悟した男たちの眼差し。それとは対照的な、この馬鹿馬鹿しくて平和な江戸の午後。
歴史の針は確かに進み、どこかで誰かが倒れている。けれど、今この瞬間の、汗が滲むような暑さと、仲間の騒がしい声だけは、何物にも代えがたい「今」でした。
「……そうですね。さあ、笑い話はここまでにして、往診の準備をしましょうか。夏場は食あたりや熱中症の患者が増えますからね」
「はーい。……あ、もうちょっとだけ、このまま冷たい畳を堪能させて……」
私は再び畳に頬を押し付け、遠くで鳴く蝉の声を聞きながら、江戸の夏を全身で感じていました。