第7章 江戸の日常
第42話:江戸の夏と恥はかき捨てよ
京の都では、池田屋という旅籠で歴史を揺るがす大事件が起き、志士たちの血が流れている……そんな激動をよそに、江戸の橘家には、ただただ容赦のない「日本の夏」が到来していました。
「……あ、暑い。おじいちゃん、無理。江戸の湿気、危険だよ……」
私は、居間の畳の上で大の字になって転がっていました。
あまりの暑さに耐えかね、着物も、襦袢も、すべて脱ぎ捨て――。今、私の身を包んでいるのは、現代から着てきた制服の下の「黒いタンクトップ」と、仁先生から強引に借りた予備の「袴」だけ。
「桜子さん……。気持ちは痛いほど分かりますが、年頃の娘さんがそんな格好で……。誰かが見たら腰を抜かしますよ」
仁先生は、首に巻いた手ぬぐいで汗を拭いながら、呆れたように私を見下ろしていました。先生だって、白衣を脱ぎ捨てて薄手の着物一枚になっているのに、私には厳しい。
「いいじゃないですか、誰も見てないんだから。それにこれ、現代の機能性インナーですよ? 速乾性、通気性、最強なんです。あー、エアコンが恋しい……ガリガリ君が食べたい……」
「エアコンもガリガリ君も、あと百五十年は待たないと出てきません。さあ、せめて上着を羽織りなさい。咲さんに叱られますよ」
「もー、先生! そうやってすぐ小言を言うところ、本当におじいちゃんそっくり。先生っておじいちゃんだけど、今は先生なんだから、もっとこう……寛大になってくださいよ」
「おじいちゃんみたいな事言わないで、と言われても、実際にあなたのおじいちゃんだから仕方ないでしょう。……というか、その袴。裾を捲り上げすぎです。脚が丸出しじゃないですか」
仁先生が溜息をつきながら、私の袴の裾を直そうと屈んだ、その時でした。