第7章 江戸の日常
「…… 桜子さん」
咲さんの声が、少しだけ柔らかくなりました。
「私が、先生と恭太郎さんに…甘えてばかりいた事が招いた結果です。本当にごめんなさい!」
咲さんという、一番の理解者に、こんなにも心配をかけさせてしまった事を酷く反省さました。
「……無事で、本当に……無事で良うございました。どれほど、心細かったことか」
咲さんは私を強く抱きしめてくれました。その体からは、おしろいと、いつも炊事場で嗅いでいた懐かしいお出汁の匂いがしました。
「……ですが、それとこれとは別です。本日は、皆様に反省していただくため、夕餉は『お粥』のみといたします。それも、お出汁抜きの、ただの白粥です!」
「「「えええーーーっ!!」」」
三人の情けない叫び声が響きます。
「……咲さん、せめてお味噌汁くらいは……」
「ダメです、先生。贅沢は敵です」
「……せ、せめて漬物を……」
「兄上、自分を律するのも武士の修行です」
結局、私たちは咲さんの「お説教」をたっぷり三時間拝聴し、味のしないお粥を啜ることになりました。
けれど、その味気なさが、今の私には何よりも贅沢に感じられました。
誰かが自分の帰りを待ち、本気で怒ってくれる。
現代では当たり前だと思っていた「家族」の風景が、この幕末の江戸で、これほどまでに愛おしいものになるとは思ってもみませんでした。
「……ふふっ」
「桜子さん、何がおかしいんですか。私はお腹が空いて……」
仁先生が零すと、咲さんが「先生、何か仰いましたか?」と鋭く反応します。
江戸の夜。
橘家の居間に、久々の笑い声(と、少しの溜息)が戻ってきました。
歴史は依然として動乱の渦中。けれど、私たちの「居場所」は、確かにここにあるのだと、改めて実感した夜でした。