第5章 自立
第33話:仁の決断
沈黙が部屋を支配していた。
月明かりに照らされた仁先生の顔には、激しい葛藤の跡が刻まれていた。
目の前にいるのは、自分が慈しみ、守りたかった孫娘。だが今、彼女の瞳に宿っているのは、この時代の志士たちと同じ、燃えるような「生」の意志だった。
「…… 桜子さん」
先生がようやく口を開いた。その声は、もう震えていなかった。
江戸で私を叱りつけた時の怒りではなく、手術を前にした外科医のような、静かで冷徹な、けれど深い慈愛に満ちた響きだった。
「君を無理に連れ戻すことは、もうしません。君の言う通り、君はもう私の腕の中に収まる子供ではないようだ」
「……先生」
「ですが、一つだけ、条件があります。……これを守れないのなら、私は力ずくででも君を江戸へ連れ帰ります」
仁先生が提示した「条件」。それは、感情に流されがちな私にとって、最も厳しく、そして最も重いものだった。
「……条件って、何ですか?」
「『常に、医師の助手としての冷静さを失わないこと』です。……情に流されて患者に寄り添うのは、誰にでもできる。だが、死にゆく者の横で、次の命を救うために最善を尽くし、記録を残し、次に繋げる……それが、未来から来た私たちがこの時代に存在する唯一の、そして最大の義務です」
先生の瞳が、私を射抜いた。