第5章 自立
第27話:仁の焦燥(南方仁 視点)
「…… 桜子さん?」
朝の往診の準備を整え、居間の戸を開けたとき、そこに彼女の姿はなかった。
いつもなら、まだ眠たげな目を擦りながら「おはよう、先生」と微笑むはずの場所。畳の上には、彼女が大切にしていたはずの、未来の「ラムネ」の空き袋だけが、ぽつんと取り残されていた。
「先生、大変です!桜子 さんの荷が……あのお鞄がございません!」
咲さんの悲鳴に近い声が響いた。私は心臓が凍りつくのを感じた。
「……私のせいだ」
昨夜の自分の言葉が、刃となって彼女を追い詰めたのだ。
「歴史の歪みに苦しむ」「未練を与えるな」……。正論だ。医師として、そしてこの時代で数々の悲劇を見てきた者として、一歩も引けない一線だった。
だが、彼女はまだ十代の少女なのだ。この見知らぬ世界で、唯一の拠り所であるはずの私に全否定された彼女が、どれほど絶望したか。
「恭太郎さん! 桜子さんが……!」
「心得ております! すぐに門下生を出し、聞き込みをさせます!」
恭太郎さんもまた、顔を蒼白にしていた。彼は私以上に、桜子さんと新選組の約束に深く関わっていた。その彼は私以上に桜子さんの身を案じているようだった。
私は、なりふり構わず江戸の町へ飛び出した。
「桜子さん! 桜子さん!!」
行き交う人々が、血相を変えて叫ぶ私を奇異の目で見る。だが、構っていられなかった。
もし、彼女が一人で新選組の屯所に向かっていたら?
もし、私の正体を疑う医学館の刺客に捕まっていたら?
あるいは、絶望して川に身を投げていたら――。