第4章 時代を駆ける者
昨夜よりも、少しだけ呼吸が浅い気がする。
私は箒を握る手に力を込めた。
先生に叱られるかもしれない。歴史を歪めてしまうかもしれない。
でも、私は「医者の孫」である前に、一人の人間として、彼に何かを返したかった。
「……あの、沖田さん。何か、食べたいものとか、ありませんか?」
「え?」
「おしるこ以外でも。……私、お料理はあんまり得意じゃないけど、……祖母から教わった栄養のつくものなら作れます。お粥とか、喉にいいスープとか。……良かったら、差し入れ、しますよ」
沖田さんは驚いたように目を見開いた。
武士として死を覚悟して生きる彼にとって、「栄養をつけて長生きしてほしい」という真っ直ぐな厚意は、あまりに新鮮で、眩しいものだったのかもしれない。
沖田さんはしばし沈黙した後、ふっと寂しげに、けれどこの上なく優しく微笑んだ。
「……そしたら、桜子さん。時々、僕と会って話をしてもらえませんか?」
「えっ……お話、ですか?」
「ええ。君の知っている面白い話や、あの眩しい笑い顔を見せてくれるだけでいい。僕には、それがどんな薬よりも効きそうですから」
その言葉は、まるで明日をも知れぬ自分への、ささやかな救いを求めているように聞こえた。
仁先生との約束を破ることになる。
でも、私は確信していた。この約束は、歴史を変えるためではなく、一人の青年の心が折れないための「心の処方箋」なのだと。
「……わかりました。約束します。おじい……仁先生には内緒ですよ?」
私が小指を立てると、沖田さんは不思議そうに自分の小指を見つめ、それから真似をして絡めてきた。
「ゆびきり……ですか。遊女の真似事とは…いえ。無粋な詮索はよしましょう。それに桜子さんと交わすと重みがありますね」
江戸の朝日に照らされた二人の影が、門前に長く伸びていた。
それは、幕末の動乱の中で結ばれた、あまりに脆く、けれど温かい「秘密の約束」だった。
しかし、その様子を、橘家の門の陰から見つめる一組の鋭い視線があった。
それは仁先生ではなく、偶然居合わせた恭太郎だった。