第1章 幕末への導標
「はい。おじいちゃんは、南方家のみんなが医者になるのを無理強いしませんでした。ただ、救急セットだけは絶対に持ち歩けって。……今なら分かります。おじいちゃんは、自分の技術を誇りたかったんじゃなくて、ただ、大切な人を失うのが怖かっただけなんだって」
仁先生は静かに目を閉じ、深く息を吐いた。
「……私は、ここで一人で戦っていると思っていました。けれど、私の想いは、ちゃんと未来に届いていたんだ。君が今、ここにいてくれることが、何よりの証明だ」
「おじいちゃん……」
「 桜子さん。君は医者になりたくないと言っていたね。でも、今日、君が少年の命を救う助けをした事実は変わらない。君が持ってきたその『救急セット』は、未来の私が、今の私を……そして君自身を助けるために贈った、時を超えたラブレターだったのかもしれないな」
先生の言葉に、目頭が熱くなった。
私は「ダメな子」なんかじゃなかった。おじいちゃんは、私がいつかこうなることを予見して、私に「力」を託してくれていたんだ。
「……私、もう少し頑張ってみます。おじいちゃんが愛したこの江戸を、おじいちゃんと一緒に守るために」
私がそう言うと、仁先生は本当の祖父のような、優しく、深い眼差しで頷いた。
その時だった。
表の門を、荒々しく叩く音が聞こえた。
「南方先生! 南方先生はおるか! 坂本龍馬、参上したぜよ!」
夜の静寂を切り裂くような、豪快な声。
仁先生と私は顔を見合わせた。
歴史の歯車が、また一つ、大きな音を立てて回り始めようとしていた。