第11章 人間万事塞翁が馬
「……メス。……桜子さん、止血を! 早く!」
仁の視界は、時折現代のオペ室と重なり、モニターの警告音が幻聴として鳴り響いていた。
「(くそっ、消えるな……まだだ、まだ私の腕を、この時代に繋ぎ止めてくれ!!)」
仁は心の中で叫びました。
沖田さんを助ける事ができなかった。もしここで恭太郎さんまで失えば、この時代で私がしてきた事のすべてが否定されてしまう。
いや、それ以上に桜子を支えてくれる人が居なくなってしまう。
「……おじいちゃん、手が! おじいちゃんの手が消えかかってる!」
桜子が悲鳴を上げました。仁の右手が、まるで映像のノイズのように激しく乱れる。
それでも、仁は止まらず、感覚の失われゆく指先で恭太郎さんの止まらぬ出血を、一つ、また一つと結紮していきます。
「……私なんて、どうなってもいい。……だから、彼を……恭太郎さんを救わせてくれ!!」
その時、桜子の髪に刺さった桜の簪が、一瞬だけ強く発光したような気がしました。
激しい光とともに、仁の頭痛が消え、指先に確かな感覚が戻りました。
「……止まった。……出血が、止まりましたよ、桜子さん!」
恭太郎さんの胸の上下が、小さく、けれど確かなリズムを取り戻しました。
桜子は恭太郎の手を握りしめ、ボロボロと涙を流し、咲は両手で顔を覆って踞り泣いていた。
「……よかった。……本当によかった……」
戦火の煙が立ち込める上野の山。
仁の体は依然として透け、いつ消えてもおかしくない状態だったが、その表情には医師としての、そして一人の人間としての、静かな満足感が漂っていた。
「……桜子さん。……私たちは、やり遂げたのかもしれませんね」
夜明けの光が、硝煙の向こうから差し込み始め、それは江戸という時代が終わり、明治という新しい時代が幕を開ける、最初の一歩だった。