第11章 人間万事塞翁が馬
第63話:近江屋の夜、前夜の再会
慶応三年十一月十五日。京都、河原町の近江屋。
外は刺すような寒さの雨が降り続いていました。
「龍馬さん、お願いです! 今すぐここを出てください!」
私は、まだ熱の冷めきらない体で、近江屋の二階へと駆け上がりました。仁先生も、医療鞄を固く握りしめて私の隣に立っています。史実では、あと数刻もしないうちに、京都見廻組がこの階段を駆け上がってくるはずなのです。
「ははは、桜子に南方先生、そんなに怖い顔をしなさんな。わしはここで、軍鶏鍋を食うて温まろうとしちょるだけぜよ」
坂本龍馬さんは、中岡慎太郎さんと共に、火鉢を囲んで泰然と笑っていました。
「笑い事じゃありません! 刺客が……刺客がここに向かっているんです!」
「……わかっちょる。だがのう、桜子。わしはここで待たねばならん男がおるがじゃ。その男を待たずして、わしだけ逃げるわけにはいかんき」
「待たねばならぬ男……?」
私が問い返そうとしたその時。
階段を上がる、静かな、けれど確かな足音が響きました。
殺気ではない。けれど、冷たい風を纏ったような、独特の気配。
障子が静かに開き、そこに立っていたのは――。
「……遅くなりました。雨のせいで、少し道が混んでいまして」
浅葱色の羽織を脱ぎ捨て、濡れた着物のまま、沖田総司さんが立っていました。その腰には、家茂公から授かったあの脇差しが差されています。
「沖田さん……どうして……」
「土方さんに言われましてね。見廻組が、薩長の手を結ばせた邪魔者を消すために坂本さんを狙っていると。……上様の遺言を預かった身として、この男をみすみす死なせるわけにはいきません」