第10章 有為転変
第55話:決戦の地、大坂へ
「急ぐぜよ、桜子! 南方先生!」
夜の海を、蒸気船が波を蹴立てて進んでいました。
龍馬さんが手配してくれた船のデッキで、私は強く手すりを握りしめていました。江戸から届いたのは、「上様、大坂城にて御危篤」という、信じたくない報せ。
あれほど丁寧に食事療法を続け、一度は快復された家茂公が、遠征の無理と心労によって再び倒れてしまったのです。
「……おじいちゃん。家茂公、助かるよね? 間に合うよね?」
「……分かりません。ですが、諦めるわけにはいかない。家茂公がもしここで亡くなれば、歴史は加速度を増して崩壊へ向かいます。何としても、大坂城へ入らなければ」
仁先生の横顔は、夜の海風を受けて厳しく引き締まっていました。
「……桜子」
背後から、龍馬さんが静かに声をかけてきました。彼は夜の闇を見つめながら、懐から一通の書付を取り出しました。
「わしはな、この戦を一日も早く終わらせたいがじゃ。徳川も、長州も、これ以上日本人が血を流し合うちゃあいかん。……そのために、わしには考えがある」
「考え……?」
「『大政奉還』ぜよ」
龍馬さんの口から出たその言葉に、私は息を呑みました。