第9章 東から西へ
第51話:奇跡の献立
大奥の厳格な空気の中、私が作り続けたのは、現代の栄養学に基づいた「小豆の煮汁」と「玄米の重湯」、そして咲さん直伝の野菜のすり流しでした。
幕府医官たちの嘲笑を背に、和宮様自らが家茂公の口元へ匙を運んで数日。
「……ああ、体が、温かい。……足の重みが、嘘のように引いていく」
奇跡は起きました。
家茂公の浮腫は引き、死を待つばかりだった瞳に、若々しい光が戻ったのです。
「江戸患い」という死の呪縛を、一椀の粥が解き明かした瞬間でした。
「桜子、南方。……其方らは、徳川の救世主よ」
天璋院様が深く頷き、和宮様は家茂公の手を握り締めて、人目も憚らず涙を流されました。
数日後。すっかり立ち上がれるまでに回復された家茂公は、私たち二人を静かな奥の間へ呼び出しました。
そこには、将軍としての威厳ではなく、一人の青年としての清々しい表情がありました。
「南方、桜子。……余は、決めた。……再び、長州へ向かう。自ら軍を率い、この乱れた世を鎮めるために」
「上様! せっかく快復されたばかりです、今はまだ……!」
仁先生が思わず声を上げましたが、家茂公は静かに首を振りました。
「余が健やかになったのは、天が『徳川の責務を果たせ』と仰っているからであろう。……この命、其方らに救われたもの。ならば、残された時間は、民のために使わねばならぬ」