第9章 東から西へ
「……食事を変える? 精白した白米をやめ、玄米や小豆(あずき)を召し上がれだと? 貴様、上様に家臣や農民と同じ食い物を食わせろというのか!」
「そうです。白米に含まれない『栄養』が、上様の体を蝕んでいるのです。これ以上、白米と甘い菓子ばかりを差し上げては、心臓が止まってしまいます!」
仁先生の懸命な説得も、伝統と格式に固執する彼らには届きません。
「医は術なり、食事にあらず」と吐き捨てられ、私たちは部屋の隅に追いやられてしまいました。
「…… 桜子さん。歴史の壁は、政治や戦争だけではない。人々の『常識』という名の壁もまた、これほどまでに厚いのか」
仁先生が悔しそうに拳を握りしめた、その時でした。
和宮様が御簾を上げ、自ら姿を現されたのです。
「……苦しいのは、上様なのだ。……形式など、どうでも良い。…… 桜子。お主は、彼の国から来たのであろう? お主の国の知恵で、上様を……私の夫を、救うてはくれぬか」
和宮様の瞳には、涙が溜まっていました。
一国の奥方としてではなく、ただ愛する人を失いたくないと願う、一人の女性の切なる祈り。
「……はい、和宮様。お任せください。先生と私で、上様に最高の『養生食』を差し上げます」
私は、咲さんから教わった料理の知恵と、現代の栄養学を総動員することを決意しました。
小豆の煮汁、玄米の重湯、そしてビタミンを豊富に含んだ食材。
医官たちの冷ややかな視線を浴びながら、大奥の台所で、私は仁先生と共に火の前に立ちました。
家茂公が救われれば、歴史はどう動くのか。
新選組は、沖田さんは、戦場へ向かわずに済むのか。
鍋から上がる湯気を見つめながら、私は祈るような気持ちで、徳川の未来を背負う一杯の汁物を作り続けました。