第3章 7〜8
貧民の頭に刻んだ文字の乾きを確かめるように、バデーニは指先でそっと触れた。
まだ赤く腫れた皮膚の上に、オクジーの書いた一節が、拙いが確かな線で刻まれている。
滲んだ血の跡の奥に、黒々と残る文字。そこにあるのは理論ではなく、証明でもない。
ただ数ヶ月間の出来事と、そのとき胸に去来した感情だけを綴った文章だ。
学問としての価値はない。反証もできなければ、体系もない。論として組み上げられてもいない。
だが、その無骨さゆえに、読む者の胸に直接触れる力がある。
思考を経ず、先に感情へ届く。
自分の研究は違う。膨大な計算と観測、反論への備え、誤差の検証。幾度も推敲し、削り、磨き上げた理論。
完成させた今でさえ、発表の機を誤れば灰になる。
後進は作らないと決めている。複製する時間もない。自分が証明できなければ、全て燃やす。
それでいいと、本気で思っている。
だが──それでも、彼はオクジーの本を残そうとしている。
自分が異端として処刑される可能性は、常に隣にある。
地動説をまだ公にしていない今でさえ、疑いを向けられれば終わりだ。
そのとき、自分や先人たちの研究成果は守れない。守るつもりもない。情報は独占してこそ意味を持つ。未完成の真理など、歴史に残す価値はないからだ。
しかし、あの文章は違う。
理屈ではなく、感動だけが残る。誰の名も出ない物語。
だからこそ、読む者はそこに自分を重ねる。特定の誰かではなく、「自分のこと」として受け取る。
もし感動さえ後世に残れば、いつかどこかで、自然と立ち上がる者がいるかもしれない。疑問を抱く者が現れるかもしれない。
証明は、そのときでいい。
そう考えた自分に、バデーニはわずかに眉を寄せた。