第2章 4〜6
「後進は作らない。死ぬまでに私が証明できなかったら、私の関わった書物全てを燃やす。あくまで重要なのは、私がこれを完成、発表することだ。他の誰かの踏み台にされるのは御免だからな」
言葉は迷いなく森へ落ちる。これは決意ではなく、宣言だ。自らが原典となり、到達点となるという誓い。
未完を引き継ぐのではない。完成させるのは自分でなければならない。
石箱の隅に、一通の手紙があった。
簡潔な文面──「利益が生じた場合、一割をポトツキに渡すこと」。
先人の約束。研究と金銭と、未来への信頼が、短い文字に凝縮されている。
バデーニはなんの躊躇もなく、その紙を蝋燭の火にかざす。
炎が縁から走り、文字が歪み、黒く縮れる。
過去の契約は、灰へと変わる。
燃え上がるそれを最後まで見届けることもせず、彼は燃える手紙を無造作に地面へ落とした。
踵を返し、石箱に背を向ける。
「では、そろそろ村へ戻るぞ」
燃え残りが赤く縁取りながら崩れ、灰となって夜気に舞い上がる。
乾いた風がそれをさらい、星明かりの下へと散らしていく。その行方を、オクジーは目で追った。
そのとき、オクジーが口を開く。
「あの……やっぱり守りませんか」
バデーニは立ち止まる。しかし振り返らない。
「……たぶん、あの手紙を残した人は、箱を開けて読む人のことを信じて、ああ書いた気がするんです。今ここにいない人の想いを無視したら、何かが決定的に失われる気がして……」
森の湿気の中で、その声だけがやけにまっすぐだった。
「何かってなんだ?」
「歴史、というか…」
“歴史”。
その単語が、胸の奥に触れる。ほんのわずかに、だが確かに。
蝋燭の匂い。石壁の冷たさ。羊皮紙を擦る静かな音。
遠い記憶が、夜の闇と重なる。
名も残らぬ写字生の横顔。
自分よりも長い時間を見ていたような、あの落ち着いた瞳。