Tell My World 【ヒロアカ 爆豪勝己】
第2章 初恋は、0と1の境界線上で
それからしばらく二人の間に言葉はなかった。
ただ、宝石のように煌めく水面が天井でゆらゆらと揺れ、波紋が広がる音だけが鼓膜を撫でる。
現実の爆豪ならこの沈黙に耐えきれず「何か言え」と吠えていただろうが、この『BLAST』として過ごす時間は、不思議と彼女の隣にいることが自然に思えた。
言葉で埋める必要のない凪のような時間がそこには流れていた。
やがて、彼女が名残惜しそうにゆっくりと立ち上がった。
「……もう行くのか」
BLASTが、座ったまま視線だけを彼女に向けた。
「はい。……そろそろ、用意をしないといけないので」
「…………」
彼女はフードを深く被り直し、再び「地味なミラージュ」としての自分を鎧のように纏う。
けれど、BLASTはその奥にある瞳を逃さなかった。
「……今日も、楽しみにしてる。……ヘマすんじゃねぇぞ」
真っ直ぐな射抜くような眼差し。
ライブ会場で見せている、あの「熱」が、至近距離から彼女の胸へと注ぎ込まれる。
「っ……」
その瞬間彼女の心臓が不規則に跳ねた。
何万人という観客を前に歌い、熱烈な称賛を浴びても一度も動じなかった心が、たった一人の男の無骨な一言で、熱く、甘く、痺れるような感覚に包まれる。
「……ありがとうございます。……精一杯、歌いますね」
彼女はそれだけ言うのが精一杯で、逃げるように小さく会釈すると、水の回廊の向こう側へと姿を消した。
ログアウトし、現実の自室に戻ったは、デバイスを外してベッドに体を投げ出した。
暗い部屋の中、先ほどまでのアクア・クリスタリアの青い光が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
「…………」
ふと、不思議な感覚が胸をよぎる。
あのアバターがエミリアだと見破ったというのに、彼は何も聞いてこなかった。
「本名は?」とも「どうしてあんな歌を歌うのか」とも、「どうしてあんなところにいたのか」とも。
誰もが暴きたがる自分の正体を、彼はまるで「どうでもいい」と切り捨てるかのように、ただそこにいた「自分」だけを認めてくれた。
「……BLAST」
その名を口の中で転がしてみる。
冷たくて、けれど不思議と温かかった彼の声。
「……変な人」
そう呟いた彼女の頬は自分でも気づかないうちに、仄かに赤く染まっていた。