第11章 【脹相】君の名
物音で目が覚める。
どうやら比丘尼が帰ってきたようだ。
何事もなかったようで少し安心する。
これから料理を始めるであろう比丘尼をしばらく眺めていると、こちらに気付いたようで一瞬動きを止める。
「すみません、起こしてしまいました」
そんなこと気にすることないのに、と思う。
比丘尼はいつも他人に気を遣いすぎだ、とも思う。
「いい。少し目を閉じていただけだ」
そんな比丘尼を安心させ得る言葉を脹相は思いつけない。
それが何だか歯痒く感じる。
「これから食事を作りますので少し騒々しいと思います。どうか他の場所でお休みください」
比丘尼は脹相とは距離を取ろうとする。
今まで150年の月日は心の距離を縮めるものではないのか。
「いい。お前にはまだ聞きたいことがある」
「何でしょうか?」
比丘尼はわざわざこちらに向き直るので「作業しながらでいい」と制止する。
脹相も台所には背を向ける形でソファに腰掛け、比丘尼の作業開始を待つ。
比丘尼は言われた通りに作業を始める。
調理器具が触れ合う音。
流れる水音。
何かを刻む包丁のリズム。
全てが心地良い。
それらを身体に取り込むように大きく息を吸い、吐く。
「比丘尼」
呼びかければ、
「はい」
作業の手は止めずに返事が返ってくる。
「俺はお前と感情が繋がっていると感じる時がある。これはなんだ?」
150年間不思議に思っていたことを訊く。
比丘尼は一瞬動きを止めたが、すぐに動きは再開された。
「…九相図を封印する前に標本瓶に私の血を入れました。それのせいでしょう。私は〝繋がり〟と呼んでいます」
「どうして入れた?」
「それは…」
先程よりも長く言い淀む。
「?」
振り返り比丘尼の顔を見れば、眉を寄せて難しい顔をしている。
そして、言葉を選ぶように「…心配、だったので。少しでも繋がる可能性があると思って…」と続けた。
「そうか」
「あの、もしご不快なら…この〝繋がり〟、切ることもできます…」
眉を下げ、どこか悲しげに言われればそんな気は起きない。
いや、それを抜きにしても生まれてから150年間感じてきたこの感覚を手放す決断には至らない。
「いつでも切れるものなら今はいい。今のところお前の気配はわかった方がいい」
「そうですか…ありがとうございます」
比丘尼は安堵したように表情を和らげた。
