第11章 【脹相】君の名
「…始めからだ。お前の生まれから」
「……わかりました」
比丘尼が近づいて、脹相にコップを差し出してきた。
中には湯気があがるお茶。
「長くつまらぬ話でございますので、お茶でも飲みながらお聞きください」
比丘尼が浮かべる微笑みは何故だか悲しみを帯びていた。
それから比丘尼は台所へ向かい、料理をし始めた。
海沿いの漁師の家に生まれたこと。
父が海難に遭い、不思議な肉を持ち帰ったこと。
幼い頃の病で死に瀕した時にその不思議な肉を食べたこと。
ある一時期から年を取らなくなったこと。
恩人と呼べる人に出会ったこと。
その人の元で学び、比丘尼になろうと決意したこと。
比丘尼になって全国を旅したこと。
比丘尼は簡潔に話をする。
しかし、故意に情報が抜け落ちている気がする。
それが何なのかは脹相に知る由がない。
「そして…あなたの母様に出会いました」
ついに九相図誕生まで話が進んだ。
そのまま、しばらく比丘尼は黙った。
今までの話では感じなかった感情が流れ込んでくる。
悲しみ、後悔、内に向く怒り。
その出来事が比丘尼の中で大きな傷であることを感じる。
比丘尼は意を決したのか話し始めるための息を吸った音がした。
「それはもう聞いた。話さなくていい」
比丘尼が吸った息が言葉になる前に脹相は制止した。
今まで黙って聞いていた脹相が話を止めたこと、しかも脹相が1番知りたいであろう自らの出自の部分を止めたことに比丘尼は驚いているようだった。
「お前は俺たちと別れてからどうしてた?」
「…比丘尼をやめました。人を、救うのをやめました」
「何故だ?」
「…怖く、なりました。私が救ったと思った人が私が知らないところで不幸になっているかもしれない。そこから新たな不幸が生まれているかもしれない、と。私が人を救っているだなんて、ただの傲慢だったのだとわかってしまったのです」
「…そうか」
(それでも、俺は…そんなお前に救われていた)
比丘尼をやめた比丘尼は150年間、九相図に寄り添っていたのを身を持って知っている。
封印されていた期間、脹相は弟たちを思い、自らを奮い立たせていたが、彼女から受け取った温かさを弟たちに分けてやっていたに過ぎない。
(これを伝えてやった方がいいのだろうか…?)