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『はつこい』

第8章 『 余裕がなくなる音』


体育館の扉が開く音がして、咲は思わず顔を上げた。

入ってきたのは凛人だった。

いつもと同じようにタオルを肩にかけ、軽く周りを見渡す。
そして、給水ボトルを並べている咲の方へ歩いてきた。

「咲」

名前を呼ばれて、胸が少しだけ跳ねる。

「なんか元気なくない?」

「え……?」

「顔、いつもより静か」

図星を突かれて、咲は一瞬言葉に詰まる。

「大丈夫です」

そう答えたものの、声が少しだけ弱かった。

凛人は少しだけ首をかしげる。

「ほんとか?」

優しい声で聞かれると、余計に我慢していたものが揺れる。

少しだけ黙ってから、咲は小さく息を吸った。

「……あの」

視線を下げたまま、凛人の服をぎゅっと握る。

「さっき……」

言葉が詰まる。
それでも、逃げずに続けた。

「先輩が、女の子と話してるの……見ちゃって」

凛人が一瞬、状況を理解する。

「ああ……」

「……嫌でした」

小さく、でもはっきりした声。

「なんか……胸が、モヤモヤして……」

今にも泣きそうな顔で、それでもちゃんと伝えようとしている姿に、凛人の胸がじわっと熱くなる。

「……そっか」

少しだけ距離を詰め、声を落とす。

「…さっきの、告白されたんだよ」

咲が目を少しだけ見開く。
少し下唇を噛みながら

「でも」

凛人は続ける。

「好きな人いるから、って断った」

一瞬、空気が止まる。

「……え」

咲の視線がゆっくり上がる。

凛人は少しだけ困ったように笑った。

「だから、心配すんな」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に溜まっていた重さが少しだけ軽くなる。

それでも、まだ鼓動は速いままで。

「……はい」

小さく頷くと、凛人はほんの少しだけ目を細めた。

(泣きそうな顔で、「嫌でした」って言うの反則だろ……)

頭を撫でる。

「ちゃんと言ってくれてありがとな」

咲は少しだけ照れたように視線を落とした。

胸の中に残っていた不安は、もうほとんど消えていた。
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