第3章 影を操る彼は彼女を隠したい 【呪術廻戦 伏黒恵】
八十八橋の調査は、当初の予想を遥かに超える最悪の展開へと転がり落ちていった。
調査を進める中で突きつけられたのは、伏黒の姉・津美紀もまた、この呪いの標的になっているという残酷な事実だった。
「……っ」
伏黒の顔から、一瞬にして温度が消えた。
資料を握りしめる指が、微かに震えている。
沈着冷静な彼の瞳が、昏い焦燥に塗り潰されていくのを、いのりは隣で息を呑んで見つめていた。
「……新田さん、悪いですが車を止めてください」
伏黒は、凍りつくような低い声で切り出した。
「え、伏黒くん? 急にどうしたんスか」
「……伊地知さんに確認しました。被害者の発生状況から見て、現時点で呪いの等級は確実に上がっている。これは当初の想定を超えた案件です」
伏黒は、振り返ることもせず助手席のドアを開けた。
「虎杖、釘崎、いのり。お前らは新田さんと一緒に一度戻れ。俺は……地元の連中にもう少し話を聞いてから帰る」
「はぁ!? 何言ってんのよ、アンタ一人で——」
「命令だ。……行け」
野薔薇の言葉を遮る、拒絶の壁。
伏黒はそのまま夜の闇へと姿を消した。
漆黒の闇に包まれた夜の八十八橋の麓。
伏黒は一人川面の境界へと歩を進めていたが、その背中に聞き慣れた足音が重なった。
「一人で行かせるわけないでしょ」
「……戻れと言ったはずだ」
伏黒が立ち止まり、苦々しく吐き捨てる。
背後には虎杖、野薔薇、そしていのりが、当然のような顔をして立っていた。
「…恵くん…隠したって無駄だよ。津美紀さんのこと、一人で背負おうとしてるでしょ」
「伏黒。俺たち、友達だろ。……水臭いことすんなよ」
虎杖が拳を軽く合わせ、野薔薇もまた不敵に笑って釘を弄んだ。
「アンタ一人に手柄を独占させるほど、私はお人好しじゃないわよ」
「……お前ら」
伏黒は溜息をつき、ようやく振り返った。
その瞳には焦燥だけでなく、どこか諦めたような、それでいて救われたような色が混じっている。
「……死んでも知らんぞ」
「うん、死なないよ。みんなで帰るんだから!」
「……行くぞ」
伏黒が短く合図し、四人は共に八十八橋の「境界」を跨いだ。
冷たい水音と、澱んだ呪詛。
その中心へと向かう彼らの足取りは、先ほどまでの伏黒一人きりのものより、ずっと力強く、確かなものに変わっていた。
