第3章 影を操る彼は彼女を隠したい 【呪術廻戦 伏黒恵】
薄暗い廃ビルの廊下に、粘りつくような呪詛が満ちる。
「……チッ、伏兵か!」
伏黒の鋭い声が響いた瞬間、天井から肉塊のような呪霊がいのりを目掛けて振り下ろされた。
「っ!?」
死を覚悟して目を瞑ったいのりの視界に、漆黒の影が割り込む。
「鵺!」
激しい電撃とともに、呪霊の腕が弾き飛ばされた。
間一髪、伏黒が彼女の襟首を掴んで後方へ引き寄せる。
「下がってろと言ったはずだ! いのり!」
「ごめん、でも…!」
言いかける彼女の目の前で、伏黒はすでに次の印を結んでいる。
「玉犬!」
影から躍り出た狼が、咆哮とともに呪霊の喉笛を食い破る。
伏黒自身も懐に潜り込み、呪具を叩き込んだ。
「ハァッ……!」
流れるような連撃。
最後は玉犬が呪霊を真っ二つに引き裂き、黒い霧となって霧散した。
高専へ戻る二人の間に会話はない。
(結局、私は守られるだけ。……自由なんて、おこがましかったのかな)
高専の長い階段を登りきったところで、いのりは立ち止まった。
「……伏黒くん。ごめん、今日も足手まといだったよね」
消え入りそうな声。
自分の無力さが、呪霊の毒よりも深く胸に突き刺さっていた。
「……」
伏黒は足を止め、数段上から彼女を見下ろす。
その無機質な視線に、いのりは思わず顔を伏せた。
叱責が来る、そう思った。
「……何に落ち込んでる。お前は死ななかった。それで十分だろ」
「でも、私は何もできなかった! 伏黒くんがいなきゃ、今頃……」
「当たり前だ。俺の方がお前より場数を踏んでる。だがな、いのり」
伏黒は階段を数段降り、彼女と視線の高さを合わせた。
「お前が後ろにいたから、俺は背後を気にせず前に出られた。あの状況で逃げ出さなかったのはお前の強さだ」
「……伏黒くん…」
「それに、ボロボロになってまでここにいたいって言ったのはお前だろ。だったら、勝手に限界決めて、勝手に自分を呪うな。……明日も、俺の隣で動いてもらうぞ」
ぶっきらぼうに言い捨てて、伏黒は再び歩き出す。
耳が少しだけ赤いのは、街灯のせいだろうか。
「…うん、そうだね…ありがとう、恵くん!」
背中に向けてそう叫ぶと、伏黒は「…名前で呼ぶな」と小さく呟いたが、その歩幅は先ほどよりも心なしか、彼女を待つようにゆっくりとしていた。
