第3章 影を操る彼は彼女を隠したい 【呪術廻戦 伏黒恵】
禪院の「枷」を振り切り、直哉の目を掻い潜って這うようにしてたどり着いた東京。
慣れない足取りで踏みしめた、東京の呪術高専。
コンクリートの冷たさも、山奥に漂う重苦しい空気も、いのりにとっては「自由」の香りがした。
「おい、いのり。ぼーっとするな。行くぞ」
前を歩く伏黒恵の、ぶっきらぼうな声が飛ぶ。
彼は決して過保護ではないが、呪力も術式も乏しい彼女の「脆さ」を、その鋭い視線で正確に見抜いていた。
いのりには、人並み外れた呪力はない。
強大な呪霊を一撃で葬り去るような、華々しい術式も持ち合わせていない。
任務に出れば、待っているのは痣だらけの体と、死の淵を覗き込むような恐怖。
それでも、彼女の口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「……うん、わかってる。大丈夫」
かつての自分を縛り付けていた、名前のない閉塞感。
それに比べれば、命のやり取りをする戦場の方がずっと、自分が「生きている」ことを実感させてくれた。
ボロボロになった制服の袖をまくり、彼女は伏黒の背中を追う。
現在、一年生の在籍は彼女と伏黒の二人だけだ。
近いうちにあと一人の入学が決まっていると聞いているが、今はまだ、この静かな——といっても呪霊の唸り声が混じる、騒々しい静寂——時間が続いていた。
「今回の任務は偵察がメインだ。お前は俺の死角をカバーしろ。無理はするな、いいな」
「了解。伏黒くんの邪魔はしないよ」
「……邪魔だなんて言ってない。死ぬなと言ってるんだ」
伏黒は少しだけ顔を背け、影を操る構えを取る。
彼が呼び出した「玉犬」が、いのりの足元に寄り添うように鼻を鳴らした。
まるで、彼女の危うさを案じているかのように。
呪術師としての才能は、決して恵まれているとは言えない。
けれど、この呪われた世界で、自分の足で立ち、誰かの隣で戦えること。
それがいのりにとって、何物にも代えがたい「幸福」そのものだった。