第3章 交錯する想い
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まだ空気に夜の名残が残る早朝。
窓の外は淡く白みはじめ、住宅街はまだ眠っているように静まり返っていた。
私はすでに伊地知さんの車の後部座席に座り、流れていく景色をぼんやりと眺めていた。
コーヒーのほのかな香りと朝の冷えた空気が混じった車内は、余計な言葉を必要としない静けさに包まれている。
やがて車が一軒の家の前で止まり、ブレーキの感触が伝わった。
「恵くん、おはよう」
窓を開けて声をかけると、玄関から出てきた恵くんがほんの少しだけ顔を上げる。
「……はよ」
短く返された低い声。
それきり、恵くんは何も言わず、視線を落としたまま車へ向かってくる。
後部座席のドアが開き、恵くんは無言で乗り込む。
私の隣に腰を下ろすと、そのまま窓の外へ視線を向けた。
外の冷たい空気が一瞬だけ車内に入り込み、すぐにドアが閉まる。
再び、静かな朝の空気が満ちていった。
「現場まではここから3時間ほどかかりますので、ゆっくりしていてくださいね」
バックミラー越しに、伊地知さんが穏やかな声で告げる。
「いつもありがとうございます、伊地知さん」
そう返すと、伊地知さんはハンドルを握ったまま、少し照れたように笑った。
「いえいえ、それはこちらのセリフですよ」
信号で車が止まり、前方を確認したまま、伊地知さんは声を落とす。
「さんが来られてから……五条さんの遅刻、かなり減りましたし」
冗談めいた口調だけれど、そこには実感がこもっている。
ハンドルを握る指先がほんの少しだけ緩んだのが見えた。
「……家からの外出のときだけ、ですが」
伊地知さんは、独り言のように小さく付け足して苦笑する。
「ふふ……」
「…」
思わず零れた笑いを抑え隣へ視線を向けるが、恵くんは変わらず外を見つめたまま、景色の流れに身を預けていた。
その横顔は静かで、どこか遠い。
けれど同じ車で同じ目的地へ向かっていることだけは確か。
今の私は、それだけで十分だった。