第2章 わるいこ
建物の中は埃っぽく、時折医薬品の香りが混じって鼻腔をくすぐった。
かつて人が行き交っていた名残だけが残る廊下は静まり返り、私の足音だけがやけに大きく響く。
伏黒くんはすでに上階へ上がってしまったようで、どこを見渡しても影も形も見当たらない。
(……なんだろう、この嫌な感じ)
肌の表面を、細かな針でなぞられるような感覚。
見渡す限り、はっきりとした呪霊の姿はない。
それなのに、空気の奥には、無数の小さな呪力が澱のように溜まっているのが分かる。
まるで、何かを隠しているみたいに。
(伏黒くんは……3階、かな)
確信に近い感覚が、胸の奥へと静かに落ちてくる。
私は一度息を整え、階段を駆け上がった。
「……!伏黒くん────!」
声を張り上げた瞬間、三階の踊り場に立つ伏黒くんの背中が、はっとしたように振り返る。
彼はすでに呪霊と対峙していたらしく、その右隣には、黒くて大きな——犬のような式神が、低く唸りながら立っていた。
こちらを見た伏黒くんの表情は、驚きと苛立ちが入り混じり、きつく強張っている。
「お前、なんで……」
「あ、えっと…」
言葉に詰まり、視線が宙を彷徨う。
本当の理由を口にすれば、空気が一気に重くなってしまいそうで、喉の奥で言葉が引っかかった。
「ごっ、五条さんに、行かないと晩御飯抜きって言われたから……!」
そして、咄嗟に口から飛び出した言い訳に、自分でも少し驚き、すぐに罪悪感が胸に広がった。
(ごめんなさい、五条さん……)
嘘をついた感触だけが、やけに生々しく残る。
思わず視線を伏せると、五条さんの軽い笑顔が一瞬だけ脳裏をよぎり、余計に後ろめたさが募った。
「……そうかよ、」
「う、うん」
伏黒くんはそれ以上追及せず、私から視線を逸らす。
怒鳴られなかったことに、胸の奥で小さく息をついた。
「あのね、伏黒くん」
意を決して、彼の隣へ一歩踏み出す。
その瞬間、空気の奥で嫌な歪みが膨らんでいくのを、はっきりと感じ取った。
「これ、3級の呪霊だと思う」
「は……?」
伏黒くんが息を呑んだ、その刹那。
床が軋み、影が、不自然に膨れ上がる。
次の瞬間、私たちより何倍も大きな呪霊の腕が振り上げられ、空気を引き裂くような音と共に振り下ろされた。