第2章 わるいこ
現場に到着するなり、伏黒くんは誰とも言葉を交わさず、そのまま建物の中へと足を踏み入れた。
迷いのない歩き方だった。振り返ることも、こちらを気に留める様子もない。
そして、私はその背中を追いかけることが出来なかった。
一歩踏み出そうとして、足先が地面に縫い留められたみたいに動かない。
「さぁてと。、どーする?」
伏黒くんを飲み込んだ建物を前に、視線を落としたままの私へ、五条さんが軽い調子で問いかける。
今すぐにでも追いかけるべきだと、頭では分かっている。けれど、胸の奥に広がる不安が、それを許さなかった。
「……五条さん。伏黒くんは、私のこと……嫌いなのかな」
ぽつりと零れた言葉は、思った以上に弱々しく響いた。
もし嫌われているのなら、追いかけて気を散らせることは、彼の言う通り足手まといになる。
嫌われていなかったとしても、役に立てなければ——結果は同じだ。
「どうだろうねえ。そればっかりは僕もわかんないや。後で恵に直接聞いてみたら?」
いつも通りの、軽くて柔らかい声。
けれど私は、すぐに首を横に振った。
「……でも、直接"嫌いだ"って言われたら、悲しいよ」
言葉にした瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。
その時、ふわりと頭に温もりが落ちてくる。
五条さんの大きな手にゆっくりと髪を撫でられて、指先が髪を梳くたびに、絡まっていた不安が少しずつ解けていく気がする。
「その時は、僕が優しく励ましてあげるよ」
「………そっか。じゃあ、怖いものなんてないね」
顔を上げて五条さんを見ると、彼は安心したように微笑み、今度は私の背中を軽くポンと叩く。
その合図に押されるように、私は建物の中へと足を踏み出した。
——上手く、笑えていただろうか。
人に嫌われるのが怖くない人なんて、ほんのひと握りだ。
私は、そんなに強い人間じゃない。
それでも。
伏黒くんが危険に足を踏み入れたこの状況で、自分の恐怖心と向き合う暇なんてあるはずがなかった。
私は、誰かを、何かを守るために産まれてきた。それを全う出来なければ、自分には価値がない。
だから私は、怖くても立ち止まってはいけない。