第6章 堕神※
私が鼻をすする音だけが、薄暗い空間にひどく大きく響く。
掴まれていない方の手で何度も涙を拭うけれど、堰を切ったように溢れてくる雫のせいで、指先はすぐに濡れて意味をなさなくなった。
「一旦、座れ」
「やっ…、」
くい、と優しく腕を引かれるが、私は首を左右に振って拒絶した。
だって、いま恵くんの顔を見てしまったら……私はきっと、自分の醜い欲に負けてしまう。
私のこの汚い感情に巻き込んで、恵くんを穢してしまう。
大好きな人を、大切な人を犠牲にしてまで得る快楽なんて、私は要らない。
だから今は、ただ一人にしてほしいだけなのに。
「一人で泣くな」
「───っ、」
求めていた、けれど一番欲しくなかったはずの感触が、背中に伝った。
あの日、浴室でそうしてくれたように、大きな腕が私を包み込んでいる。
その抱擁のあまりの優しさに、すべてが許されるんじゃないか、なんて。そんな甘い勘違いをしてしまいそうになった。
「……思い出したなら、言ってくれ」
「ちがう、思い出してないもん、」
私の掠れた否定なんて聞こえていないかのように、恵くんの腕にさらに力がこもる。
背中から伝わってくる心臓の音は、私を安心させるためのもので、決して情欲なんかじゃない。
それが分かっているから、利用しようとしている自分が余計に惨めで、私は恵くんの腕の中で涙を拭い続けた。
「俺も、お前の中から消したいと思ってんだよ」
「…っ、」
「……だから、遠慮してるなら…止めろ」
肩口で囁かれた低い声が私の神経を甘く痺れさせ、私の"欲"をさらに黒く、大きく育て始める。
──駄目。
そう思ったはずなのに。
恵くんに強く引かれた腕を、振り払うことはできなかった。