第5章 オーバーライト※
廊下に出ると、さっきまでの静寂が嘘のように騒がしさに満ちている。
───でも今は、その喧騒がひどくありがたかった。
静かな場所にいると、気を抜いた瞬間にさっきのことばかり思い出してしまうから。
「……………」
視界を埋め尽くす恵くんの潤んだ瞳。
名前を呼ばれるたびに私の思考を奪うあの声。
自分のものじゃないみたいに熱を帯びた、胸の先の痺れるような快感と、恵くんの熱い口内の感触。
「…っ、」
言ってるそばから蘇り始めた鮮明な記憶に、心臓が跳ねる。
今も、下着の布地が肌に触れるだけで火傷をしたみたいにそこが熱い。
私は赤くなっているであろう顔を隠すように俯き、逃げるように廊下を歩いていた。
「あ、ミョウジちゃんじゃん!伏黒の乗り心地どうだった〜?」
「は、ぇっ、」
ドンッ、と誰かの身体にぶつかって足が止まる。
突然降ってきたその名前に、私は弾かれたように顔を上げてしまった。
「え………なんか、えろ…くね?」
ぶつかった男の子が、言葉を失っている。
何か、答えなければ。でも頭が真っ白で、当たり障りのない返答がひとつも見つからない。
戸惑う私と頬を染めて固まる男の子。
その隙間に、冷ややかでひどく威圧的な低い声が割り込んできた。
「……オイ、デケェ声で人の名前呼んでんじゃねぇよ」
「オワーー!!伏黒っ!?」
視線を向けると、いつの間にか隣に立っていた恵くんが、ぶつかった男の子を冷ややかな視線で一蹴していた。
「わ、悪いって! 今のは別に変な意味じゃなくて、」
「いいから行け」
有無を言わせない拒絶に、男の子は「…ッス」と肩をすくめて教室の中へと消えていく。
「「……」」
騒がしい廊下で、私と恵くんだけが取り残された。
恐る恐る隣に立つ彼を見上げると、恵くんはまるで何事もなかったかのような、いつもの涼しい顔で前を見据えている。
耳まで真っ赤にしていたあの熱も、どろりと濁っていた瞳も、今はもう、どこにも見当たらない。
「……お前もいつまでそんな顔してんだ。行くぞ」
私の動揺なんて露知らずといった様子で、恵くんは私に視線を合わせることなく、ぶっきらぼうに促した。
(……なんとも、思ってないんだ)
まるで私一人が浮かされているようで、胸がチクリと痛む。
その感覚の理由に蓋をして、いつも通り恵くんの背中を追いかけて歩き出した。
