第15章 月と袈裟
森を裂くように、足音が近づく
駆けてきたのは遊佐由布湯、その少し後ろに、庵歌姫の姿
紅海は、拝殿の前に立ったまま、裸足で月を見上げていた
岩壁が崩れ、周りは踏み荒らされ、戦闘の痕が残っている
けれど彼女だけが、そこから切り離されたように静かだった
「紅海ちゃん!」
遊佐が、杖をつくのも忘れて駆け寄る
普段は脚の後遺症を気にして、意識的に動きを制限しているはずだ
「由布湯、あんた…足…」
違和感を感じ庵が小さく呟く
だが今は、それ所ではない思考は一瞬で脇に追いやられる
紅海の目は、月に縫い止められている
『遊佐くん…大丈夫だよ。呪霊は全部祓った…でも、ちょっと…』
領域展開の反動か
大量の呪力消費と負傷
そして別の喪失感
視界の端まで何度も探すが
彼はいない
次の瞬間、膝が折れた
「紅海ちゃん!しっかりしい!」
遊佐が受け止める
細い体は、思ったよりも軽い
夜風が冷たい
遊佐は杖を庵に押しつけると、紅海を抱き上げた
本来なら、無理をしてはいけない脚…と見せかけるが
そんな計算は消えている
山道を一気に駆け下りる
息が苦しい、それでも止まらない
山を下りた先
野薔薇が不安そうに立っていた
「紅海ちゃん!」
小さな拳が震えている
「大丈夫や、紅海ちゃんは、こんな事では死なへん」
自分に言い聞かせるように、遊佐が言う
紅海を自分のコートの上に寝かせた所で
他の補助監督や術師たちが駆け寄る
騒がしさの中で、ようやく遊佐は呼吸を整えると
庵から、苦笑しながら杖を受けとり、あえて体重を預ける
「庵さん、黙っといてくださいね?」と一言付け加える
“足が悪いのに助けに行った”…と言う事にする
庵は遊佐の行動を追及する余裕はない
紅海は微かに目を開ける
もう一度だけ、周囲を探す
あの温もり
頬に触れた掌
『…傑』
かすれた呼吸に紛れて、名が零れる
遊佐の胸が、わずかに強張る
聞こえなかったふりをした
紅海の視界が暗くなり、音が遠のく
最後に紅海の視界に残ったのは、月の輪郭
意識が、ゆっくりと沈む
══2014年9月 岩手遠征終了 重傷者1名
表向きに流鏑馬紅海の怪我は
崖から足を滑らせての入院とする