第15章 月と袈裟
冷えた夜気と頬を包む温かな温度
夏油の親指が、わずかに頬をなぞる
そして脈絡もなく
『紅海…ほら見て、今夜はお月様が綺麗だね?』
夜空を指し見上げる
一瞬、思考が追いつかない
『えっ…』
視線を上げる
満月が、先程よりもくっきりと輪郭を持っていた
雲が流れて、銀色の光が境内を照らす
『本当…すごく綺麗』
小さな、掠れた声
……
高専時代に
紅海が、お月見がしたいと言って
コンビニで買った みたらし団子と、レジャーシートを持って
高専の屋上で2人で夜空を見上げた
その日は生憎、曇っていて中々月が顔を出さない
『今年は諦めた方が良いのかも』
「そう焦らなくても、まだ時間は有るよ…
お月見、してみたかったんだろう?」
紅海はレジャーシートに横になった
『そうだけど』
数分後、雲の隙間から大きな月が見えた
『あ!傑!見て!』
紅海は満面の笑みで、夏油の肩を叩く
『今日のお月様は綺麗だね』
瞬間、夏油はピクリと反応する…
そして、クスクスと笑いながら答える
「本当だ、このまま時が止まれば良いのにね」
『うん、綺麗なままなら良いのにね』
きっと、紅海は知らずに使っているのだろう
どこかの文豪がI LOVE YOUを
日本人は直接的な愛の伝え方はしないのだから
"月が綺麗ですね"と訳しておきなさいと言ったそうだ
……
夏油は高専時代を思だしながら
紅海を見つめたまま、微笑む
笑みの奥で揺れた思いを隠す
連れて行きたい
でも、連れてはいけない
理想の世界に、彼女の様な人間は一緒に立つべきではない
それを一番よく知っているのは、彼自身だ
「君は、そちら側でいてほしい」
静かに言う
「君までこちらに来たら、私はきっと後悔する」
袖を掴む紅海の指を、そっと外す
『傑…また会える?』
その声を留めるように目を伏せる
「どうだろう?会えなくても、
紅海がこの月の元で生きていてくれれば私は満足だよ」
風が吹き…彼の気配が遠ざかっていく
完全に見えなくなる直前
月明かりの中で横顔が一度だけ振り返った気がした
境内には、満月だけが残る
紅海はその場に立ち尽くす
救いたいと願う心と、追えなかった自分
どちらも正しいのか、どちらも間違いなのか
ただ月明かりが紅海一人を照らしていた