第2章 ゆらゆら
しばらく、二人の間を沈黙だけが流れた。
ひとつ、分かったことがある。
彼は私に「もっと警戒しろ」と忠告してきた。……それは正しい。少なくとも理屈としては。
でも、その忠告をしてくる本人が、今の私にとって唯一の拠り所でもある。彼がいないと、私はなにも分からず、重い体のせいで動くこともできず、ここで野垂れ死ぬ可能性だってある。
今の私には、この人しかいない。
信用していいかは分からない。けれど、信用しなければ何も始まらない。
「……鶴丸さん。質問、してもいいですか」
慎重に言葉を選んだ。声がわずかに震えた。
「どうぞ。なんでも聞いてくれ」
彼は部屋の隅に置かれた椅子に腰を下ろし、軽く足を組む。その仕草がやけに様になっていてドラマの一場面でも見ているようだった。
「あぁ、俺のことは鶴丸でいい。敬語もいらない」
「……いきなり外すのは抵抗があります。少しずつで」
そう返しながら、私は本題に入る。
「私の名前、知ってますよね。教えてください」
鶴丸の表情が、わずかに歪んだ。一瞬だけ、言葉を探すような沈黙。
「あぁ……そこを突くか」
苦虫を噛み潰したような顔で、彼は息を吐く。
「悪いが、それは教えられない。俺は、きみの名前を知っているようで、知らないから」
意味が分からず、眉をひそめる。
「どういう……」
「そのままの意味さ」
逃げるような説明に、胸の奥がざわつく。
彼は私の知り合いだと思っていた。少なくとも、そうでなければここまで面倒を見る理由がない。
でも、名前を知らない?
違和感がぽこりと生まれたのを無視して、次の質問に移る。
「じゃあ……ここは、本当に私の家なんですか」
「少なくとも、今はきみの家だな」
遠巻きな言い方が引っかかる。でも、その違和感を問い詰める前に、次の疑問が溢れ出た。
「私、なんでこんなことになってるんですか」
「それを思い出すのが、きみの仕事だな」
即答だった。まるで用意されている答えを返すように。
「……本来の私の仕事は?」
「しばらく休み。きみが寝てる間に、職場には連絡してある」
「いつまで?」
「きみが思い出すまで、でいいだろう」
あまりにも曖昧で、あまりにも一方的な条件。記憶がないまま、社会から切り離されている状況に寒気がひどくなる。