第1章 じめじめ
「こんな雨の中、外になんて出たくないよ。風邪ひいちゃうもん」
冗談めかして言うと、彼は一瞬だけ言葉に詰まった。
そして、曖昧に笑う。
「……そうだな。熱が下がらないうちに、風邪までひいちまったら、とんだ災難だ」
彼の視線だけが、ほんの一瞬、私ではなく窓の外を向いた。その横顔は、少しだけ硬かった。
飲み終わった麦茶のコップを片付けるために彼は立ち上がった。
ついでとばかりに、彼はカーテンをきっちりと閉めた。雨音が、少し遠くなった。
「じゃあ、昼ご飯作ってくる。できるまで大人しく寝ておいてくれよ」
こくりと頷く私の髪を彼はわしゃわしゃと掻き回した。
部屋を出ていくシワひとつないピンとしたシャツ姿の背中を、ぼんやりと見送る。
………どうして、“約束”をそんなに気にするんだろう。
理由は教えてくれない。
彼は、私をこの家の外に出してくれない。
二人で暮らすにはやや手狭なこの家は鳥籠と喩えるよりは、ぬるま湯やゆりかごと呼ぶ方が正しい気がした。
ぬくぬくと、私は彼の庇護下で回復を待つ。そして、決して外に出ないこと。それが“約束”だった。
熱のせいだろうか。
雨の音に混じって、誰かが私の名を呼んだ気がした。でも、それが誰だったのか、なんて呼ばれたのかを考える前に、意識がまた、ゆっくりと沈んでいく。
雨音だけが、ずっと、耳の奥に残っていた。
ご飯までに起きられるかな。雑炊、楽しみだな。